ロサンゼルスの奇妙な新生活

12年間働いたピーチジョンのデザイナーを突然引退して渡米。片言以下の英語力で果たしてどうなる新生活⁉︎

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移住341日目 第4話引き寄せの法則使えたかも

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今日は息抜きに可愛いブラのデザインを描いてみた!

今ず〜っとメンズ服やってるから楽しかった♪

 

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昨日のつづき↓

第1話移住337日目 引き寄せの法則使えたかも - ロサンゼルスの奇妙な新生活

第2話移住338日目 第2話 引き寄せの法則使えたかも - ロサンゼルスの奇妙な新生活

第3話移住339日目 第3話引き寄せの法則使えたかも - ロサンゼルスの奇妙な新生活

 

 子会社になった後、

日本はファストファッション大流行の時期だったし、インポート物とかもネットで簡単に手に入る時代だったし、時代の流れとか、なんだかんだで売上がどんどん下がっていって、

とにかくなにか変化が求められていた。

 

たぶんプロパー社員へのプレッシャーは大きくて、プロパーの偉い人達は体調が悪くなっちゃったり辞めちゃったり、1人、2人と会社から居なくなってしまった。

 売上絶頂期の頃の会社を運営していた尊敬する社長や役員の女性達がほとんどいなくなったころ、

何を勘違いしたのか、

ただの合コンキチの、

課長の中でも雑魚課長の私が

「上層部は親会社から来た男の人達ばかりで、PJの事とかよく分からないだろうから、もぅこうなったらこのブランドを私が守るしかないんだ!」という病的な勘違いと異常なまでの愛社精神と使命感を感じはじめていた(笑)

キモッ!!!

 

親会社から来た役員さんのところに出ばっていって

「あの〜私、文化服装学院出身で大学とか出てないんですけど…この会社の社長になれますでしょうか。。。」って聞きに言った事もあった;

その時、役員の◯◯サさんは、「なれるよ(^_^;)難しい所は右腕左腕になる人がいればええんやから」って優しく苦笑いで答えてくれた。

今考えると恥ずかしいーーー!(笑)

※ちなみに、このお陰でその後、私が将来の社長になれるように?セミナーとか色々と会社が頑張ってくれた。試してみてwめっちゃ嫌われるかもしれないけど!

 


企画の体制が変わる事になり、わたしが配属された小さなチャレンジ部署は確か1か2年で無くなり、リサーチプランというチームが出来た。リサーチをしてその結果を元にデザイナーの人達にどんな物を作ったら良いか提案したり、デザイン決定会議に出席したりする役割になった。デザイナー達には相当ムカつかれていたと思う(笑)

 

リサーチプランチーム制度も1〜2年で無くなり、

リサーチプランメンバーもデザイナーも全員一つの課にまとまり、私はそこの課長になった。

 

デザイナー達はなかなか変革期に苦しんでいるようだった。そりゃそうだよね、絶頂期時代を築いた尊敬すべきデザイナーの先輩たちだもん、変えろ変えろって言われてもなかなか大変だったと思う。

 

毎日のように、この尊敬すべきデザイナー達と

一方、ちっちゃいチャレンジばかりしていた私 は衝突、炎上していた。

そして、ベテランデザイナーが3〜4人辞めていった。

 

今思えば、

コンサルの人とか外部ディレクターの人とか、現状を変えなきゃいけない役割の人って、

話し方とかそういうテクニックはかなり重要だよね。30歳ソコソコの私はそれを知らなかったからお互い本当に辛かった。

でもツライとかの人間らいしい感情を全て捨てるように頑張って、

[ PJらしい新しいチャレンジをする ]

これだけを無心になって考え続けてた。

反発されればされるほど、その考えはどんどん極端になっていったと思う。

 

※引き寄せ方法を書くはずなのに、私の歴史になってきた(笑)ごめんね、前置きが必要なの〜

つづく